武道作家 不動武氏による教育コラム


不動武 (ふどうたける)

武道作家

 

某大手留学会社時代には社長室を努めた経緯を持ち、現在は武道教育は国境を越えた教育として世界共通の教育理念としての認識を持ち、作家、ライターとして活躍する。

40年前ニューヨークに渡米した元極真会館岸信行師範について発行した「空手仙人岸信行」、元K1ファイター武蔵についての本も出版している。


我に師なし(01/30/2015)

未だに勘違いしている人々が多いので、お伝えしておこう。

「我以外皆師なり」という言葉は宮本武蔵の言葉ではない。

「小説宮本武蔵」を書いた作家吉川英治の言葉である。

宮本武蔵が本当に言ったのは、「我に師なし」と言ったのだ。

「兵法の理にまかせて諸芸諸能の道となせば万事において我に師なし」

とこう言ったのだ。

「私は諸芸を嗜んだが、全て、兵法の理を用いて行ったのであり、先生について学んだんじゃない」

と言っ切ったのだ。

「我以外皆師なり」という言葉も全てから学ぶという言葉ではあるが、「師の存在」を肯定した言葉であり、「師なし」とまでは言っていない。

吉川英治の「小説宮本武蔵」は名作ではあるし、私も好きだが、「だから、宮本武蔵の真実か」と言えばそれは違う。

如何にも真面目な文学少年が好きそうな、PTAが好きそうな吉川英治による宮本武蔵像であるが、私は現実の宮本武蔵とは全く違う気がする。

私も「先生」などと言われるが、私が若い学生の方々より優れているかと言えば、ちゃんちゃら可笑しい話で、私が極めて自我が強いために自身独特の経験をしてきただけであり、高尚に表現すれば自分なりの思想なるものが出来てきただけの話である。

私は色ものである。

逆に私は小学一年生の子供と話していても、

「こいつ、俺よりはスゲェ!」

と思うことがよくある。

勿論、私は人格者ではない。間違いなく奇人変人の部類である。

私の独特の人生経験や物の考え方のその部分について、他の方々が話を聞いて下さり、参考にして頂いているだけの話である。

私自身も「先生」という存在を絶対視していない。

私が所謂、生徒の時代でも、先生や大人に対して

「こいつ、馬鹿じゃねぇか?」

と思うこともよくあり、その時のその人々の年齢を追い越した今、

「あいつらやっぱり馬鹿だったな」

と思っている。

だいたい、世の中に「全人格的な師」、「一生師事できる師匠」などいるわけがない。その人の経験や思想を部分的に参考するまでの話。

武道の世界でもよく、

「素晴らしい先生だと思っていたのに、こんな短所があって幻滅した」

と大騒ぎする人間達がいるが、そんなのは、噴飯ものの大馬鹿者の言うことである。

期待する方がどうかしている。

どうしても期待するなら自分自身に期待するべきである。

私などは自分自身にも清廉潔白や品行方正は全く期待できない。

宗教にしてもそうだ。

僧侶や牧師が言うままに信じるのではなく、

「おかしいんんじゃねぇか?その話!」

と肯定できる部分と否定できる部分を識別しながら読むのが大事だ。

それが「理信」ということ。

「釈迦がママのわき腹から生まれた!」

おいおい。

「いきなり立って歩いた!」

おいおい、お前、子鹿じゃねえぞ(笑)。

アメリカが生んだロックンロールの帝王、エルビス・プレスリーは

「俺は神様を信じないとは言ってない。神様がこう言ったという奴を信じないだけだ」

と言っているがその通りだ。

だいたい若いこれからの方々が師に仕え、他人の過去の人生を辿って何になるのだ?

くだらない。せっかくの新しい命が勿体ない。

日本には色々な「道」と名のつくものがあるが、それだって、古の人間と同じ心境になるのじゃ仕方がない。

他人のコピーになってどうする。

じゃあ、何に学ぶのか。「自分の体験」である。

まず、自分を肯定し、自分の心に真っ直ぐに生きて「体験する」のだ。

人生とは体験だ。

だから、自分を失えば全てを失うことになる。

体があるから経験できること。すなわち、生きている間にしか出来ないことをやるんだ。

その典型的なものが「留学」である。

何故、留学するのか、広い世界を自分で体験するために決まっている。

そう言った意味で、若い方々の学び方について、最も分かりやすい教えを説いたのは極真空手の創始者である大山倍達である。

「真の極意は経験にあり。よって体験を恐れるべからず」

というこの言葉である。

宮本武蔵の言葉について、もう一つ言っておこう。

「天地の間に我ひとり。我一人より始まる」

これこそが宮本武蔵を表した言葉である。

今、コラムを読んで下さっているあなたこそ、

「物事の始まりであり、世界の始まりである」

私はそう信じる。

留学を志すあなたに申し上げる。

あなたと言う国の主権者はあなた一人である。

その主権を誰にも奪わせてはならない。